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zoom RSS 「太郎君がぶった」のか、「太郎君にぶたれた」のか。

<<   作成日時 : 2010/11/02 18:50   >>

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子どもが泣きながら、自分にこう訴えたとする。

A「せんせー、太郎君がぶったー」

あるいは、こう言う場合もあるだろう。

B「せんせー、太郎君にぶたれたー」

このAB二つの訴えは、同じだろうか。

話し手(仮に花子ちゃんとしましょう)が話題にしている出来事としては同じだけれど、日本語文法的にはちょっと違う。もう少し具体的に言うと、花子ちゃんの意識が違う。

Aは、太郎君の話をしている。一方、Bは、言葉の上では省略されてしまっているけれど、「私が太郎君にぶたれた」と言っているわけで、これは「私」の話だ。あるいはカメラワークに喩えるといいかもしれない。Aは太郎君にカメラの焦点が当たっており、Bは花子ちゃんに当たっている。画面の中央にいるヒトが異なるのだ。

このように「○○が」という形式には、視点がどこにあるのかを示す機能がある。自己中心的ででしゃばりなヒトのことを批判して「あのヒトはいつも『オレがオレが』なんだよねー」なんて言うのは、まさに象徴的だ。

というわけで極端に言うとAは、

「太郎君を何とかして欲しい、叱って欲しい、懲らしめて欲しい、憎い憎い憎い、太郎君が憎い!」

という怨念のこもったメッセージ(こわっ)。対するBは、

「かわいそうな私!なんて不幸な私!私を慰めて!私を見て!」

という私が世界の中心なのよ的メッセージということになる(繰り返しますが、極端に言うと、です)。つまり、Aの訴えに対してただ慰めてあげても、結局「太郎君を叱ってよ!」となるし、Bに対して「なに!太郎君が!」と太郎君のところに飛んでいって太郎君を叱っても、「私は…(泣)?」となってしまう。これでは花子ちゃんの意図を酌んであげられない。

もちろん、自分をしっかり持つべき時と相手のことを考えるべき時とがある。評価は時と場合によって変わるけれども、相手が何を中心にしてしゃべっているのかに注意すると、ヒトの見方がちょっとだけ変わる。そして、自分が話すときにも気を遣うと、モノの見方もほんのちょっと変わる。

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