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zoom RSS 続続続・言葉を作る話。の話。

<<   作成日時 : 2012/03/16 18:38   >>

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さて、いよいよ「創萌力」のキャラクターに迫ってみようと思う。

第1回において私は「創萌力」を評して、「萌え」との親和性が「萌えぢから」のような類語に比べて低いと述べた。また、第1回および第2回ではその原因として「創萌力」が和製漢語であり、また「創萌」という熟語自体が新語である点を挙げた。一般的に、ぱっと見で意味がわからない漢語は読み手に難解な印象を与える。

かく言う私も、「創萌力」の第一印象は「上手いけど、ちょっと堅い感じがするな」というものであった。

しかし、ここまで読み進めてきた読者諸賢においては、この堅苦しい文体のせいもあるが、そのような印象はだいぶ薄れてきたのではないだろうか。現時点で世界一「創萌力」を使っているのは、作者のあきふゆ氏を抜いておそらく私である。その私の場合、すでに完全に馴染んでしまっていて、もはや何の違和感もない。

言葉は使用されることでこそ、命が吹き込まれるのであり、その命を輝かせることができるのである。第一印象がとっつきにくいからと言って、その言葉が我々を真に拒絶しているわけではない。むしろすべての言葉はその命を輝かせるため、我々に使われることを求めている。そして我々が使えば使うほど、その言葉と我々の関係は密接なものとなっていく。

ところで、あなたの創萌力は今、高まっているだろうか。高まっていないようなら十分に高まらせてから読み進めて欲しい。具体的には恋愛対象だと思って、その相手の性格や容姿のことが論じられているつもりで読むことをおすすめする。

出会いのときから、そして折に触れ、「創萌力」はその造語法(同時に二段階行っている)と語種(漢語)から、我々にキツく当たってくる。使用場面も限定されるため、身近な人にさえその意味を説明しづらい。音声面でも漢語ゆえに耳から聴いても最初は意味がわからない。声に出して言いにくい日本語であり、我々は「創萌力」に振り回されっぱなしである。

しかし、今、我々は「創萌力」のことを、文字通り目で追ってしまっている。恋は始まっているのだ。

使えば使うほど、読めば読むほど、我々と「創萌力」との距離は縮まっていく。それなのに、新語ゆえ、第三者に対しては自由に使えない。第三者の前では我々にキツい態度を取り続け、この文章のように読者と非対面の間接的コミュニケーションの際にのみ自由に使わせてくれる。二人っきりの時にだけ、「創萌力」は我々にその笑顔を見せてくれるのである。

これは「萌え」の世界で「ツンデレ」と呼ばれている現象と一致する。

次に、外見に目を転じてみよう。(私は絵心が無いため、言葉だけで表現することしかできない。読者諸賢の創萌力に期待する。)

「萌」という字は「萌え」そのものであり、「創萌力」にとって本質的な意味を担う中心的な文字である。この字に女性的な印象を持つ人はそう思えば良いし、男性的な印象を持つ人はそう思えば良い。これは印象の話であって「創萌力」の性別の話ではない。性別は各自の恋愛対象の性別を想定して欲しい。

次に、「創」と「力」である。これはどちらも非常に鋭角な文字である。また「創萌」と並ぶと知らない漢語であるため、近づきがたいオーラを感じることだろう。漢語は日本において古来知識人階級との縁が深い。したがって、基本的には知的でクールな外見と言える。作者のあきふゆ氏が浮き世離れしたメガネ男子なので、その愛娘(あるいは愛息)である「創萌力」もメガネっ娘(またはメガネ男子)と見て間違いないだろう。

学生ではないかと思うのも自由だ。そういう人は「学級委員長」だと思うと良い。「バカじゃ無いの!」「キミは実に馬鹿だな」とあなたを罵ることだろう。

しかし、腐女子の皆さんはこのような恋愛をあまり好まない。「創萌力」だけでボーイズラブは展開しないからである。では腐女子の皆さんはどうすれば良いのか。その点も抜かりは無い。私が「萌容力」という新語を用意してある。脳内で好きにホモホモさせればよい。萌容力は同音異義語を利用しているため、とっつきやすい癒やし系である。ツンツン系で素直じゃないクールな男子と、かわいい系男子、ちゃんとタイプの異なる男子によるBLが可能である。

創萌力はあるのにまだ「創萌力」に萌えないという人向けに、もう一属性付加しておこう。

作者のあきふゆ氏は言葉の魔術師への道を歩む求道者である。「創萌力」はそのあきふゆ氏が産み落とした子であるのだから、必然的に「魔女っ娘」(「魔法使い」)属性も備わっていることになる。

「萌え」属性が多すぎて過剰に感じる人もいるだろう。しかし、全部同時に付加する必要は無い。言葉は誰もが使い、共有することができるものである。我々は、それぞれ自分の最も好みのキャラクターを、創萌力を駆使して造形すればよい。そのイメージは誰からも否定されるべきものではない。

ところで、作者のあきふゆ氏自身は「創萌力」に萌えていただろうか。

察するに、おそらく今回私が論じたような意味では萌えていなかったのではないかと思う。なぜなら、あきふゆ氏にとって「創萌力」は自らが生み出した、自慢の箱入り娘だからである。

私はあきふゆ氏に謝罪しなくてはならない。あきふゆ氏にとって今の私は「娘を創萌力で慰み者にした憎むべき相手」なのだ。「お前に娘はやらん」と怒りに打ち震えているかもしれない。しかし、ちょっと待って下さい、お父さん。

言葉というものは、誰のものでもあると同時に、誰のものでもない存在である。言葉は人間社会において共有されることによって初めて、価値を持つ。誰か一人だけのものにはならないのが言葉の本質なのである。その意味では偶像としてのアイドルや、漫画やアニメ、ゲームのキャラクターとも共通点を持つと言える。

我々は言葉と恋をし、言葉を使い続ける。言葉と我々の距離は縮まっていくが、決して自分ひとりだけのものにはならない。いつの間にか言葉の意味が変わり始め、「そんなのは僕(私)の知ってるお前(あなた)じゃない」と言ったところで変化は止まらない。変化した彼女(彼)を受け入れるか拒絶するか。その権利しか我々にはないのである。

決して遂げられない想いを抱えながら我々は言葉を使い続ける。使われなくなった言葉は、人知れず、誰に看取られることなく息を引き取っていく。そうして命を失った言葉の数々が、歴史の中に眠っている。

言葉の歴史を研究するというのは、そういった言葉が、かつていかにして生を受け、その命を輝かせ、そして忘れられていったのかを見つめる営みである。ただ見つめ、確かにかつて生きていた言葉がそこにあったことを認める作業。それが言葉の歴史を研究するということである。

現代においても言葉はその命のサイクルを繰り返している。「創萌力」は今、生を受けたばかりの言葉である。それを見つめることもまた、言葉を歴史的に研究する、一つのあり方である。

馬鹿なことを散々書いておきながら、最後が湿っぽくて戸惑っている方もいるかもしれない。しかし、言葉と我々の関係は恋愛と同じだと言ったはずである。

出会いは突然であり、燃え上がっているときには楽しく、そして最後は切なく、ちょっと哀しいものなのである。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
なんかいい話になっちゃったな
御殿場海賊団
2012/03/17 12:57

内容が馬鹿なのに最後がきれい、というギャップ込みで楽しんでいただければと思います。

本編は終わりましたが、ちょっと長過ぎるので補足・解説編を書こうと思っています。
takosan
2012/03/19 11:58

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